最近、いろんなところで片づけというキーワードを目にします。
ところで、「片づけ」というとどんなイメージがありますか?
おそらく、「片づけ」=「捨てる」というイメージではないでしょうか。

僕はそんなイメージです。

「捨てる」というと、どんなふうに感じますか?
36歳の私は小さいころから、母上様によくこういわれたものです。

「モノは粗末に扱ってはいけませんよ。」

「もらえるものはミカンの皮でも貰っておくのですよ」

おそらく、うちの母親世代は、現在ほどモノに囲まれる生活ではなかったのではないかと思います。
今でこそ当たり前ですが、100均なんてなかったでしょうからね。

なので、僕は「捨てる」ということに抵抗があるんです。
当時としては、「捨てない美学」というか、簡単に捨てないことは良いことだというような風潮がありましたよね。

だけど、今となってはそれがアダとなっております。
社会にも自宅にも、周りを見渡せばモノにあふれかえっていますからね。
だから、モノはたくさんあるけど、捨てられなくて困るんです。

僕と同じように感じている人っていますか?

捨てられない。という価値感。

この価値観は、極端に言うと、戦後間もないころのものが極端に不足している時代なら大変貴重な価値観だと思います。
捨てられないということは、言い換えればモノを大切にするということですからね。

だけど、時代が流れ、今の状況だと、困る人がたくさんいるんです。

現在ではマイナスとなってしまったこの価値観。

どうすれば、現在の価値観にマッチするのか?

それは、「捨てる」んじゃなく「手放す」と考えてみることです。


言葉を別のことばに置き換えてみる。

僕は、これで気持ちが楽になりました。

「手放す」っていう言葉の意味って、自分よりももっと必要な他の誰かに渡してあげるって意味でもあると思うんです。

例えば、まだ着れるけど、何年も来ていない服。

これって捨てられなくて困るものトップ5にはランクインしますよね。
これを捨てるんじゃなくて手放してみる。
例えば、リサイクルショップに持って行ってみる、とか、
メルカリで売ってみる、とか、
ジモティーなどで譲ってみる、とか、
単純に親せきの誰かに譲る、など。

これって、ちょっとした社会貢献ですよね。

自分が持っておくよりも、もっと必要な他の誰かが喜ぶ行動。

それによって、自身のモノも減っていく。

一石二鳥じゃないですか?

さあ、今日は何を手放そうかな?