みなさんこんにちは!ミックマックです。

昨日に引き続き、マシンガンズ滝沢さんの著書
『やっぱり、このゴミは収集できません』を読んでいます。

それで、この本、本当に素晴らしいと思います。

読みながら本当にいろんなことを考えさせてもらいます。

これは、僕がマシンガンズ滝沢さんと同じ収集業界に身を置いているから、、、

だけではないと思うんです。

ごみ清掃という仕事にかける思いというか、観察眼というか。。。

一昔前までは、ごみ清掃というのは、影の存在でした。
だけど、マシンガンズ滝沢さんが現れたおかげで、日の目を見るようになったんですね。

これはとてもいいことだと思っています。

何がいいことかというと、

環境問題に意識を持ってくれる人が増える

ということです。

前置きが長くなりましたが、また本を読んだ感想を書きたいと思います。

みなさんもよかったら一緒に考えてみませんか?


☆理解不能のごみ☆

この世の中には理解不能のゴミがある。
(著書:やっぱり、このゴミは収集できません P49より)

これは、ありますね~。

一番実感として思うのは、「どう見てもまだ使えるもの」が捨てられていた時です。
たとえば、まだ新しい小型家電とか、きれいな調理器具などです。

なぜ、これが理解不能か?と考えてみると、

僕が貧乏性だからです。(笑)

ようするに、小型家電などはボロボロになるまで使いたいですし、
調理器具なども、擦り切れるぐらい使い倒したいタイプです。

なので、あたらしいモノが捨てられていると、なんともったいない!と思ってしまうのです。


☆相手に寄りそったごみ収集☆

ここで大切なことって、『理解不能』という言葉だと思うんです。

『理解不能』

この言葉は、裏を返せば「あなたの行動は理解できない。」ということです。
つまり、「私はあなたを理解する気はない。」という意味ではないでしょうか。

ごみというのも実はあいまいな言葉で、
ある人にとっては「ごみ」でも、
べつのある人にとっては「宝物」かもしれません。

つまり、「ごみ」というのはある種の価値観だと思うのです。

その『ごみという価値観』に対して、「理解不能」という言葉を投げつけるのは、
ちょっと乱暴な気がしています。

例えば、まだ使えそうなものを捨てるのにも、

何か理由があるんじゃないか?

そう思いたいんですよね。

ごみを捨てるという行動をとおして、相手を理解する。
完全に理解できなくても、相手を理解する努力をする。

これが大切だと気づきました。

この本、本当に素晴らしいですね!