こんにちは、ミックマックです。
今日は片づけについて考えてみようと思います。
みなさんは、片付けというとどんなイメージをお持ちですか?
「完璧に片づけなくてはいけない」
「もう二度と散らからないようにしなければいけない」
こんな風に思っていないですか?
でも、実際はどうなんでしょうね?
『完璧な片づけ』とか、「散らからない部屋」など。
こういう理想的な状態って、そもそも実現するのでしょうか?
☆片づけはハードルが高い?☆
このステイホーム中に片づけをされた方も多いのではないでしょうか。
そこで、この片づけについて考えてみましょう。
片づけって聞くと、どんなイメージがありますか?
僕なんかは、「完璧に片づけなくては」というイメージがあります。
だけど、よく考えてみると、『完璧な片づけって何でしょう?』
どういう状態が完璧な状態なんでしょうか?
みなさんはどう考えますか?
☆本来の片づけの目的は?☆
そこで、もう一歩戻ってみて、片づけをする目的って何でしょう?
部屋を綺麗にすること?
そうですね。それはもちろんあると思います。
では、部屋を綺麗にするとどうなるんでしょうか?
片づけの本当の目的ってこの部分だと思うんです。
部屋を綺麗にしたらどうなるのか?
みなさんはどうなると思いますか?
これは、人によって答えが様々だし、
これが正解というものもないと思います。
ある人にとっては、部屋がきれいになると、友達を家に呼べるようになる。というようなことだと思うし、
又ある人にとっては、部屋がきれいになると、おちついて勉強ができることかもしれません。
つまり、部屋を綺麗にするという目標の先に、自分が本当にしたいことがあるんです。
☆片づけは”ゆるく”でいい☆
片づけという作業は、もう少し詳しくいいかえると
『片づけという作業を通して、自分は何を実現しようとしているのか?』
これに向き合う作業と言えるでしょう。
つまり、逆に言うと、それがはっきりしていないのに
完璧な片づけというのも成り立たないでしょう。
ところで、完璧な自分ってどんな自分でしょう?
この質問って、考えだすときりがないし、
仮に完璧な自分になったとしても、また新たな完璧な自分像というものが現れます。
つまり、完璧な自分って追い求めても、またあらわれ、追い求めてもまた現れる、蜃気楼のような存在だと思うんです。
だとしたらどうすればいいか。
完璧な自分ではなく、現在の自分を見つめましょう。
完璧な自分像とはほど遠い、不完全な自分をちゃんと見つめてあげましょう。
完璧な自分というものが、蜃気楼のように実態がないように、
完璧な片づけというのも、実は実態がないモノ。
そこを追い求めるよりも、今ここに生きている、現実の自分をちゃんと見つめましょう。
だから、完璧に片づけなんてする必要はないんです。
ゆるく、ゆるく。
今の自分にできることから始めませんか?
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